7時間台をキープ! スマホ断ち79週目

先週

久々に減ったぞ!スマホ断ち78週目 - 火を見るよりも明らかに!

今週

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夜に読書をしてるおかげで、そのあたりで見てたYouTubeが減って、以前より1、2時間減ってる感じ

YouTubeが減るのはそれはそれで寂しいのですが

 

NOと言う勇気より、NOと言われる勇気【あだ名】

断ることに勇気はいりますが

なぜ断ることが怖いのかと考えてみれば

相手にNOと言われる勇気があるか分からないから、ですよね

 

例えば

「あだ名禁止」が賛否で話題な様子

嫌なあだ名をつけられて、それにNOと言う勇気が持てず、嫌な想いをする子が続出するなら

じゃあ禁止してしまえばいいじゃないか、ということなら

賛は「その通り!」

否は「禁止しなくて、嫌なことに嫌と言えばいい、ゆとり」

じゃないかな?「イジメる方が100%悪い」と「イジメられる方にも責任はある」の話ですね

私は禁止しなくていいと思います

 

今回のあだ名もそうで、イジメ的な話は起きたこととやられる方に注目される

だけど、一番大事なのはどうして解消が難しいのか?だと思います

その原因が、NOと言われる勇気だと思います

 

人に嫌なことをしてしまうのはしょうがない

嫌なことをしてしまったと気付いたり、相手に注意されたら改善するようにしたらいい

でも、自分の間違いを認められない人がいる

自分自身にNOと言われる勇気がないなら

他人にNOと言われる勇気があるわけもなくて

特に、その相手を下に見ていれば、注意される上下関係の逆転に耐えられるわけもなくて...

 

ポイ捨て、歩きタバコ、声が大きく下品な話、などなど

日常で目にする迷惑行為に、NOと言う勇気など持てないでしょう

なぜなら、相手を信用できないから

怖いとは信用できないということ

迷惑行為を撒き散らかしてるヤバい奴は信用できないから、注意なんかせず、離れるだけでしょう

注意なんかしてしまえば、何をされるか分からないから

たまに「正義を貫くぞ!」と向かって行く人もいるけど、そいつはそいつで怖い

 

あだ名に、イジメに、NOを言えないのも同じでしょう

信用できない相手に、相手が動物でも災害でも人間でも、言葉が通じるなんて期待はしないものだから

 

もしもあだ名禁止ルールが通れば

イジメっ子は先生の前では従い

裏であだ名を付け

いずれバレ

先生に「嘘つきが!」と怒られるでしょう

 

この状況は、つまり先生が信用されてないわけです

関係性で理不尽を通し、信用されてないからNOとも言われない

イジメてるのと同じような構図で、イジメよりも問題視されない

 

 あだ名を付けるのは楽しいし、マウントを取って集団の中で有利になろうとするのも普通の心理

本当はやめたくなんかないのに「禁止だ!」に反対が出ないのって、それこそおかしくないですか?

ネット上でなら誰かからの反撃を恐れる必要もないから好きなことを言えるけど、現場では反対しないでしょ?

NOと言われる勇気を示していないから

 

あだ名は楽しいと認めて、人に嫌なことをすることもあると認めて

だけど、起きそうな嫌なことを先に伝える

・嫌なあだ名で呼ばれれば誰だって嫌だ

・それに嫌と言えないのは相手を信用していないから

・嫌なあだ名で呼び続けてたら「あいつは嫌なあだ名をつけ、他人が傷ついてることに気付かない奴だ」と周りから思われる

・信用されていないから、周りから指摘されることもない

・だんだんと孤立していく

・それに腹を立て、周りのせいにしてたら、ますますNOと言われる勇気は弱くなる

・それらのデメリットを知った上で嫌なあだ名を使い続けるのは自由だけど、それは自分のNOを認められず開き直ってるのかもしれない

 

未だにコンプライアンスを軽視してる番組とかYouTubeもあるでしょ?

嫌なことをするかどうかは自由だと思う

人に嫌なことをして自分に返ってくるデメリットを予想して、それをどれだけ重く感じるかは価値観の違いだから

でも、デメリットを受け入れてるんじゃなくて、デメリットの予想に不慣れでやらかしてる人の方が多いでしょ?

 

それって加害者になる人も不幸だと思うから、トラブルが起きるパターンみたいなのを教えたらいいと思います

加害者が減れば被害者も減るから

 

で、知っててもトラブルを起こさないのは無理だから、トラブルからのトラブルを起こさないためは

自分の間違いを認められる心と、注意を受け入れる心が大事でしょ?

だからNOと言われる勇気を推したいです

 

 

だからセルフコンパッションは大事

 

自信を持ちたい!とか言う前に、まずは「セルフコンパッション」から鍛えるべし

自信を持ちたい!とか言う前に、まずは「セルフコンパッション」から鍛えるべし | パレオな男

 

 

生き続けることに魅力がなければ

生き続けることに魅力がなければ、辞めたいと思うこともある

 

今がこのまま続いていくだけなら

 

辞めたことがないから今生きているわけですが

いつ、ふと、気分のままに、辞めてしまうかは分からない

 

誰だってそう

 

 

おばさんの若作りは痛くても、若作りをしないおじさんに未来はない

通販番組でおばさんが老いていくのに抵抗するような商品がよくありますが

確かに痛々しいと感じますが

 

年功序列が終わり、成果主義になっていくだろう今後

 

今までなら、少しでも自分をよく見せようとするのはおばさんたちだけでよかった

なぜなら、おじさんたちは歳を取っていけばほぼ自動で偉くなっていけるシステムだったから

 

そんなシステムが崩れたらどうなるか

「小細工なんかしなくても男は歳取れば偉いんじゃ!」と油断してて、予想通りの扱いを受けられるだろうか?

 

抵抗感があろうと、時代の変化を受け入れて、努力した方がいい

他人に見向きされるために『年上の男』以外の理由が必要な時代

 

 

瞑想は無になるためではなく、無ではないことに気付くアクティビティ

瞑想ちゃん、最近身近になってる言葉🧘‍♀️

DaiGoさんが新作を放送してる

 

瞑想といえば

なんだか無になるのだ...ってイメージ

だけど実際にやってみて、そうじゃないんじゃないかと私は思いました

 

最初は私も、瞑想は無になるものだ、みたいなイメージで、瞑想をやってれば無になれるぞ、みたいな期待をしてましたが

やってもやっても無になれず

まぁやったりやらなかったりを繰り返してトータル1ヶ月弱ぐらいですが(笑)

 

瞑想をしたところで無になんかなれない

 

そもそも無になるためのアクティビティじゃない

無ではないことに気付くためのアクティビティ

 

瞑想をしてる最中だから、浮かんでくる頭の中のみんなのことを『邪魔だなぁ...』と思えるけど

普段の生活の中では、みんなが浮かんで来てることにまず気付けない

 

瞑想するぞ!と1点集中にがんばってる時

ボーッとスマホなんか見てる時

とを比べて

気分的にはボーッとしてる時の方がよっぽど何もしてない無の状態

だけど無なんかじゃない

だって後のリラックス感が違ってる

ボーッとしてると何もしてないような気分だけど、何かが起こってることに気付いないだけ

頭の中が乱れに乱れてれば、無じゃないことに気付けない

 

瞑想で無にはなれない

 

1を目指すもの

1になろうと必死にがんばるもの

失敗するもの