NOと言う勇気より、NOと言われる勇気【あだ名】

断ることに勇気はいりますが

なぜ断ることが怖いのかと考えてみれば

相手にNOと言われる勇気があるか分からないから、ですよね

 

例えば

「あだ名禁止」が賛否で話題な様子

嫌なあだ名をつけられて、それにNOと言う勇気が持てず、嫌な想いをする子が続出するなら

じゃあ禁止してしまえばいいじゃないか、ということなら

賛は「その通り!」

否は「禁止しなくて、嫌なことに嫌と言えばいい、ゆとり」

じゃないかな?「イジメる方が100%悪い」と「イジメられる方にも責任はある」の話ですね

私は禁止しなくていいと思います

 

今回のあだ名もそうで、イジメ的な話は起きたこととやられる方に注目される

だけど、一番大事なのはどうして解消が難しいのか?だと思います

その原因が、NOと言われる勇気だと思います

 

人に嫌なことをしてしまうのはしょうがない

嫌なことをしてしまったと気付いたり、相手に注意されたら改善するようにしたらいい

でも、自分の間違いを認められない人がいる

自分自身にNOと言われる勇気がないなら

他人にNOと言われる勇気があるわけもなくて

特に、その相手を下に見ていれば、注意される上下関係の逆転に耐えられるわけもなくて...

 

ポイ捨て、歩きタバコ、声が大きく下品な話、などなど

日常で目にする迷惑行為に、NOと言う勇気など持てないでしょう

なぜなら、相手を信用できないから

怖いとは信用できないということ

迷惑行為を撒き散らかしてるヤバい奴は信用できないから、注意なんかせず、離れるだけでしょう

注意なんかしてしまえば、何をされるか分からないから

たまに「正義を貫くぞ!」と向かって行く人もいるけど、そいつはそいつで怖い

 

あだ名に、イジメに、NOを言えないのも同じでしょう

信用できない相手に、相手が動物でも災害でも人間でも、言葉が通じるなんて期待はしないものだから

 

もしもあだ名禁止ルールが通れば

イジメっ子は先生の前では従い

裏であだ名を付け

いずれバレ

先生に「嘘つきが!」と怒られるでしょう

 

この状況は、つまり先生が信用されてないわけです

関係性で理不尽を通し、信用されてないからNOとも言われない

イジメてるのと同じような構図で、イジメよりも問題視されない

 

 あだ名を付けるのは楽しいし、マウントを取って集団の中で有利になろうとするのも普通の心理

本当はやめたくなんかないのに「禁止だ!」に反対が出ないのって、それこそおかしくないですか?

ネット上でなら誰かからの反撃を恐れる必要もないから好きなことを言えるけど、現場では反対しないでしょ?

NOと言われる勇気を示していないから

 

あだ名は楽しいと認めて、人に嫌なことをすることもあると認めて

だけど、起きそうな嫌なことを先に伝える

・嫌なあだ名で呼ばれれば誰だって嫌だ

・それに嫌と言えないのは相手を信用していないから

・嫌なあだ名で呼び続けてたら「あいつは嫌なあだ名をつけ、他人が傷ついてることに気付かない奴だ」と周りから思われる

・信用されていないから、周りから指摘されることもない

・だんだんと孤立していく

・それに腹を立て、周りのせいにしてたら、ますますNOと言われる勇気は弱くなる

・それらのデメリットを知った上で嫌なあだ名を使い続けるのは自由だけど、それは自分のNOを認められず開き直ってるのかもしれない

 

未だにコンプライアンスを軽視してる番組とかYouTubeもあるでしょ?

嫌なことをするかどうかは自由だと思う

人に嫌なことをして自分に返ってくるデメリットを予想して、それをどれだけ重く感じるかは価値観の違いだから

でも、デメリットを受け入れてるんじゃなくて、デメリットの予想に不慣れでやらかしてる人の方が多いでしょ?

 

それって加害者になる人も不幸だと思うから、トラブルが起きるパターンみたいなのを教えたらいいと思います

加害者が減れば被害者も減るから

 

で、知っててもトラブルを起こさないのは無理だから、トラブルからのトラブルを起こさないためは

自分の間違いを認められる心と、注意を受け入れる心が大事でしょ?

だからNOと言われる勇気を推したいです

 

 

だからセルフコンパッションは大事

 

自信を持ちたい!とか言う前に、まずは「セルフコンパッション」から鍛えるべし

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