アイデンティティは2種類あるよ ~自分や人生を変えたい人いる?~
この間、自分にがっしりと根差したある意味完璧主義的な考え方を根こそぎ掘り起こして、一理あるけどとらわれるもんでもないなと思ったわけですが(詳しくはまた別のお話(予定は未定))
1、2ヶ月ちびちび読んでたギブアンドテイクが終わるとオリジナルズが流れてきたところ
GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 (単行本)
ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代 (単行本)
そんなこんながあって、ここ数日はことあるごとに今までと新しい視点の両方の見方が止まらないんですが
そんなこんなの最中に思ったのがアイデンティティ2種類説
1つは自分はこうなんだ!これの人なんだ!そういうキャラなんだ!っていう代名詞や核のようなやつ
もう1つは持ってたりやってたり出来たりするけど、そんなに深い感じがないやつ
RPGっぽく言うならジョブや素質と持ち物や装備みたいな
キャラクターアイデンティティとアイテムアイデンティティとでも言おうか
例えば
文系より国語の成績がいい理系も、理系より数学の成績がいい文系もいるし、なんなら成績のいい凡百の遥か高みに超天才級のみなさんがいるんだけど
それでも成績の悪い文系は自分を文系だと思うし成績の悪い理系は自分を理系だと思う
だってそれが自分が信じる自分のキャラクターだから
言うなれば
客観的にそこらの理系よりも数学が強い文系が「俺が信じるお前を信じろ」なら
自分より上がいようと自分が理系だと思ってる人は「お前が信じるお前を信じろ」なわけ
キャラクターアイデンティティは自分の核であり芯であり軸であり、自分の安定に最も重要であり、守らなくちゃいけないものだから
努力の根本的な源になる
私の場合、客観的には個性がある方だと思うけど、自分ではそう思えないし思いたくもない
ここから読まなくていい半生↓
中学で塾に入ると急に成績が伸びて、受けてみるよう言われた偏差値70前後の私立高校にうっかり受かり、結局市内の学校に行き、宿題はやらず、実質強制の行事の不参加を勝ち取り、サボりすぎて出なきゃいけない各科目の授業数の具体的なリストを渡されて計画的にギリギリで卒業し、浪人して急にコンピューター専門学校に行き、今度はさらに計画的にギリギリを攻め、ちゃっかり基本情報なんとかみたいな資格は合格し、卒業後は工場に行き1ヶ月で辞め実家に帰り、その年の年末頃には実家の土木業を手伝わされ始め、appbank運営(元)のYouTubeチャンネル占いラボにハマり、半年後にはタロットを習いに月1で東京に通い始め、そのあたりでブログを始め、DaiGoさんを見始め、DaiGoニコニコのほとんどとつっしーパレオのちょいちょいでそれまでと比べ物にならない量と質の情報を叩き込み、俺史無縁だった文字の本も買ってぼちぼち読んで、懸垂は0から2回に増え、アニメを数百〜1000作は見ていて、iPhoneには2100曲詰まっていて、パズドラでは王冠を2、3個持っていて、モンストでは特に言うことがなく、ブログはゆかトラ検索のトップになったり山本(ヤマカン)さんにたまにツイートやRTしてもらえ、1年でタロットの基本を身につけ、世界のドキュメント番組やコピーライティングを実用しまくってるQVC(通販番組)を見始め、相変わらずお笑い色の強いテレビやYouTubeも見ていて、ラジオでお便りが採用されて、ついには空回りする自分のパターンを解読してしまった
↑ここまで読まなくてもよし
大まかにそんな感じの10年間ですよ
本当は一つ一つどうして自分ではそれを個性やキャラクターだと思えないのかのターンに入るつもりだったけど、長すぎるので断念(残念)
ザッと言えばどれも
たまたまか、不本意なことに最低限対処しただけか、頭の中の無責任なイメージよりも下か、人のおかげか、気分でやってたらそうなってただけ
どれも目標に向かって絶対やるぞって頑張ったわけでもなく、なんとなくそうなってたって感じ
だからいつも自信はあるっちゃあるしないっちゃない
そんなだから神経症的傾向が真ん中なのん?(真中のんみたいに)
そんな自分が不思議だったんだけど、アイデンティティを2つに分けて考えれば納得
アイテム的なアイデンティティは持ってるから客観的に考えて自信は持てるっちゃ持てるけど
それがキャラだっていう気持ちはないからぐにゃんぐにゃん、お前の信じるお前でもないからこだわりもそんなに無し
文系理系選びだと中学の時国語より数学が上だったのと(小)友だちが理系行くって聞いたのと(中)文系の方が教室が陽気そうなの(特大)で理系選んだけど
そもそも分ける意味が分からなかったし(もっと分けて専門的にしないとあんまり変わらなくない?って)
後で変えれない意味はさらに分からなかったし
結局現代文が80とかでセンターで1番点よかったし(テスト科目で唯一日常的にアニメとバラエティで実質触れてたのが現代文なんだから当たり前)
日本三大対立の1つ・文系と理系すらどっちでもないしどっちでもあるって感じ
関東と関西は九州だし、きのこもたけのこも食べないし
じゃあ自分にはキャラクターが何もなかったのか?といえばそうでもない
完璧主義傾向と回避傾向の組み合わせで
主観的に自分は大したことない上に、客観的に大したことあることすら常に警戒して
はなから目標を持って頑張りにくい上に、うっかりキャラ付いてしまうことすら自主規制
自分を低く見て、自分の揚げ足を取り続け、すべてがむだごとと言い聞かせ、自惚れず、キャラなんかもちろん持たず、印象を極力持たれず、人に何も思われない
それがお前の信じるお前のキャラだったわけでしょう
持ち前の好奇心と言いなりの嫌いさによって、振り返ればバリエーション豊かになってしまっていたけど、認めたくないはずですわ
それに自分ごときが大したことあっちゃ夢がなくなるってもんですよ。大したことある人たちはあらゆる能力で別次元であってほしいもんですよ。そう思ってるからみんなキャラが立ってて世界も現実にないものがありまくるアニメや漫画が好きなのかもね。
僕ね、演出と編集にまみれたのね、やっぱ好きだぁ
マツコデラックスさんがすごい人なのに自分で大したことない風に言うのも、むしろ大したことなくありたいんじゃないかって思ったり
頑張らない系の人が自分にドラマチックなところを許すのが恋愛なんじゃないか?って説にこの間行き着いたけど
逆に「目標を持って努力したなー」って思い出がある人いる? - 暗心の木々
やっぱ正しい気がするわ、ってこの流れで言うとオカマ蔑視みたいになるけど
私ぐらいになるとねぇ、頑張ってる人は選ばれし天性かなりきってる勘違いに思えて、天才じゃないやつは空気がしょぼくなるからやめろって思いますからね
同時に不器用だったりふつうな人が一生懸命に頑張ってる姿は愛おしくて応援したくて出来るなら支えたくて感動しますからね
大矛盾ですわ
こんなに洗いざらい分かったところで自分が知ってても行動に繋がらなそうなんだから
せめて悩んでる人が楽になるきっかけになってほしいって主旨ですよ
これじゃDaiGo様に顔向けできないぜぇ
ワイルドだろぉ?